最後の遣唐使の謎

承和の遣唐使は最後の遣唐使と
呼ばれる事がありますが、
際立った特徴が見られます。

838年の藤原常嗣を大使とした
遣唐使の派遣が最後とされ、
その前が804年であったので、
34年の間隔が存在した事になり、
20回近い派遣の中で最も長い
空白期間があった事にります。

菅原道真も遣唐使として派遣される
計画が存在したとされていますが、
通説では遣唐使を廃止した事で、
藤原常嗣の派遣が最後とされます。

私はこの周辺に若干の疑問を
持っていたりするのですが、
研究を書き出すと量が多くて
脇道に逸れてしまいますね。

これに円仁が同行した事により、
会昌の廃仏を経験して日記に記し、
当時の唐を克明に理解出来する事が
可能となったとされてはいます。

しかしこの周辺には謎があり、
聖徳太子伝承にも連なる人物が
遣唐使に関わっていました。

この人物には余りにも謎が多く、
既存の歴史を書き換える可能性を
秘めた話が存在しています。

彼に纏わる記述を探っていくと
様々な矛盾が出てきますが、
天皇にまで関わる人物であり、
歴史の闇を感じさせます。

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