小林の花祭

今年は用事があって
小林の花祭に行けず、
勿体なかったですね。

私が一番始めに見た
花祭が小林でしたが、
大抵は夜通しなのに
日中に行う珍しい
地域な事で有名です。

鬼の面も他とは違い、
大きな面ではなく
小ぶりな感じですが、
実際に系統も違います。

振草川系と大入系の
二系統の花祭が知られ、
前者は古い系統に属し、
後者は花山天皇が
安倍晴明と奥三河に
入った事が由来です。

王入から大入になり、
セイメイと呼ばれる
舞も残されています。

では小林はと言うと
大河内系と呼ばれ、
現状ではここにしか
残されていません。

大河内系のルーツは
全く分かりませんが、
東三河で醍醐天皇が
菅原道真と復興した
花祭がルーツではと、
仮説を立てています。

天神信仰のメッカの
東田神明宮の境内に、
カッパが祀られます。

菅原道真の本の中に、
シユウと呼ばれる神が
カッパとされた事を
書いておきましたが、
この神も角があります。

八方位を司る神々の中の
一柱とされていますが、
飽海神戸神明社の鬼祭で
天狗が儀式を行うのも、
八角儀調場になります。

秦から徐福が持ち込んだ
神とされていますが、
悪神とされているのは、
魏が侵略して捏造した
可能性が高いですね。

ここは菅原道真より
邪馬台国の本の方に、
詳しく書きました。

奥三河の設楽町の名は
三河大伴氏に由来し、
醍醐天皇が復興させた
花祭を持ち込んだ事で、
別系統になったとする
仮説が提唱可能です。

三河大伴氏の話は、
菅原道真の本の中で
一章割いています。

応天門の変の悪役・
伴善男が東三河で
活躍していた説を
書いてあります。

花祭の研究者は多く、
結構な本の寄贈が
あると聞きますが、
この説を検討すれば、
新たな展開があると
期待している所です。

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