藤原薬子

平城天皇を唆したとされる
薬子とは何者なのでしょう。

藤原薬子は藤原種継の娘で
藤原式家に属したとされます。

藤原氏は娘を天皇に嫁がせ
権力を欲しいままにした
イメージが持たれていますが、
藤原不比等の四人の子から、
南家、北家、式家、京家に
分かれていったそうです。

後に権力を牛耳ったのは
北家とされてはいますが、
他は結構悪く言われています。

清和天皇の子を生んだ藤原高子や
大規模な乱を起こした仲麻呂、
長岡京遷都で暗殺された種継など、
北家以外の歴史的な扱いには、
酷い部分が見え隠れしています。

藤原種継の死後に娘の薬子は
同じ式家の藤原縄主(ただぬし)に
嫁いだ後に三男二女を生んだ後、
長女が桓武天皇の皇太子であった
安殿(あて)親王に輿入れした事に
付き添って宮仕えを始めたそうです。

この安殿親王が平城天皇となり、
彼をもう一度天皇に返り咲くよう
唆した人物とされていますが、
色々と見直す部分が存在します。

乱の全ての責任を押し付けられた
薬子は哀れとしか言い様がなく、
藤原四家の対立が存在したのか、
後に平安と言いつつ陰謀だらけの
困った時代に突入していきますね。

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