道真著とされる「吉祥院法華会願文」には、
父の是善は「最勝妙典」「法華大乗」を
講ずるための禅院の建立を発願した事が
記されているようです。
「法華大乗」は天台宗で用いられる
法華の経典と位置付けられています。
「最勝妙典」は『金光明最勝王経』を指し、
菅原家の吉祥院ではこの経典を講説する
最勝会が行われていた事が願文の初めに
「吉祥院建立之縁、最勝会願文叙之詳矣」
と書いてある事から分かるようです。
菅原家では毎年十月に吉祥天女を本尊とする
吉祥悔過を修していたとされていますが、
吉徉悔過は『金光明最勝王綞』の中にある
「大吉徉天女品」「大吉祥天女増長財物品」で
除災招福のための法会とされています。
吉祥悔過は菅原寺に特有のものでなく、
神護景雲元年(767)正月には勅によって
諸国の国分寺で修せられたとされますが、
道鏡が下野に流された翌年の正月には、
全国の吉祥悔過が止めさせられています。
道鏡は大悪党として伝えられていますが、
この周辺を掘り下げると大変なので
取り敢えずは置いておくとして、
あえてメジャーでなくなった時代に
吉祥天の修法をなしていた事になります。
道真公の幼少時の名の一つが吉祥丸であり、
吉祥天との関係が深い事を伺わせますが、
吉祥天とはどの様な天女なのでしょうか。