在原業平の墓

以前は調査に行く話をすると
一緒に行きたいと言う人がおり、
需要があるならとメルマガで
募集をかけてはいたのですが
最近は中々出来ていません。

先週の土日も兵庫と京都に
調査に行って来たのですが、
頻繁にいけないので回る所を
一気に詰め込んで行ったので、
帰りに駅でうどんを食べたら
吐きそうになりました。

ネカフェで時間を潰して
始発に乗って移動したり、
夜行バスで仮眠をとる等の
過密スケジュールになると、
そうそう人は呼べませんね。

京都は在原業平の墓に
参拝に行ったのですが、
候補地は複数ある物の、
神楽岡がビンゴでしょう。

神楽岡と言えば吉田神社の
大元宮が鎮座している場所で、
陽成天皇の墓も近くにあります。

この在原業平の伝承について
伊勢物語を読んだ方なら
神に仕える斎宮を懐妊させ、
藤原高子と駆け落ちする等、
希代のプレイボーイとする
伝承を知っているでしょう。

しかし業平には大きな謎が
存在している事を知る人は
余り多くはありません。

業平は平城天皇の孫とされ、
阿保親王の子とされるので、
天皇の血をひく人となります。

しかしこの平城天皇について、
私の行基の本を読んだ方なら、
天皇ではない事を察するのは
容易い事だと思います。

安史の乱に加担した朝廷が負け、
長岡京に都を移した後には
行基等が平城京を押さえており、
ここと戦った事の隠蔽のために
御家騒動を捏造した仮説について
詳しく書くと結構な量になります。

となると業平は先住民族系の
皇族に連なる存在となり、
日本史に大きな影響を与えた
痕跡の抹消が存在した可能性は
相応のものとなりそうです。

道真公が鬼道を復興させるのは
朝廷サイドにいては不可能で、
別系の王朝下であった事まで
詳しく説明する必要性が
浮上してくる事になります。

ここの政治的なゴタゴタについて
詳しく書くのが余りに大変なので、
書くかどうか迷っている所ですが、
菅原道真編は書き終えているので
書くとすれば本になりますね。

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