歴史の先生と話をした時に、
生徒が市の文化財関係にいると
紹介された事がありますが、
話に行くと証明出来ますかと
聞かれた事があります。
豊川から国分寺が掘り起こされ、
文献に記された仏教寺院なのは
確定だと話をしていましたが、
物証が見つかっただけでは
データが提示出来るだけであり、
そこからは推理になります。
実際、国分寺は武則天の作った
大曇寺をモデルとしている事は
既に研究がなされてはいますが、
これはマニ教寺院であるので、
仏教とは言い難い物となります。
大乗仏教が自分の事しか考えないと
唯一批判したのが阿育王の仏教で、
大乗仏教に偽装した一神教を用いて
アショーカ王の仏教を塗り替える
目的があった可能性が高い物です。
以前は銅鐸と銅剣が別々のエリアで
出土した事で銅鐸圏と銅矛剣を
分けて語られて来ていたのが、
両者が重なるエリアが出てきて、
現在ではこの定義も崩れています。
発掘した物証で説明出来る事が
一部の領域に限るのであれば、
研究の流れを出す事の方が
重要ではないかと話した所、
それで良いと思いますとの
返答を貰いました。
証明の定義は人それぞれで、
権威ある先生が言った事で
証明がなされたと言うのなら、
教科書の書き替え等の問題も
起こってはいないでしょう。
学者間でも意見の一致を見ない
様々な問題が残っていますが、
どの様なデータと根拠により
主張がなされているかを明示し、
各人で検討出来る様にする事が
重要ではないでしょうか。
ぶっちゃけを言うと証明どころか
出せない文化財等の物証も多く、
学術より世情に通じているかの
問題の方にウエイトが行きます。
出した時の社会的責任の問題が
関わって来る話なのであれば、
データを要求する場合には、
その人に責任を取って頂けるか
明確にする必要がありますね。
メルマガ読者とリアルで会い
教えていたりはしますが、
個人的に知る事と表に出す事は
全く別次元の話になります。
三遠には通説で説明出来ない
文化財が数多く存在しており、
これらを究明するために
研究を続けているのですが、
邪馬台国等に関わる可能性が
非常に高いのが問題です。
数多くの根拠によって、
邪馬台国関係の文化財の
可能性が非常に高いのに、
いい加減に扱い滅ぼせば、
先祖や子孫達に顔向けが
出来なくなってしまいます。
その場で無責任な事を言い
破壊活動を見逃したのに、
後から証明されるのであれば、
責任追及は免れないでしょう。
ここを甘く見ている人が
数多くいる印象ですが、
誤魔化せると思っての事か、
因果があるかないかは、
リスキーな賭けになります。
時代の節目に何を行うかは
多大な影響を与えますが、
後世からツケだけ残して
逃げようとした世代として
認識されては恥ですね。
ここで様々な功績を残せば、
後々まで語り継がれる程の
価値を提示する事の出来る
時代であるとするならば、
自らの真価が問われている
分岐点にいるのでしょう。