延暦二十四(805)年二月一日、
遣唐使一行と別れた逸勢・空海は、
直ちに延康坊の西明寺に行ったと
書き残されているようです。
西明寺は高祖の建立した大寺院で、
奈良の大安寺のモデルとなったと
伝えられているそうですね。
日本から来た留学生の大勢が
この寺に止宿したとされ、
逸勢が橘秀才と称えられたのは、
その頃の事とされています。
そしてこの大安寺において
空海が修行したとされており、
更に色々と謎が存在しています。
空海が有名な虚空蔵菩薩の
求聞持法の修行を学んだのも
大安寺とする説がありますが、
この寺の南に鎮座するのが、
元石清水八幡宮です。
石清水八幡宮は清和天皇を
藤原良房が擁立した事で
建立されたとされており、
この元石清水八幡宮は
認められてはいない様です。
藤原良房は空海・橘逸勢の
時代に生きたのみならず、
清和天皇にまで関わるので、
清和天皇以降の道真公登用の
流れに関わる人物となります。
元石清水八幡宮の存在を
どう解釈するかの問題は、
結構大きな話になりそうで、
実地調査が必要ですね。
ただ経費が潤沢に使えるなら
幾らでも調査に行くのですが、
奈良に行け京都に行けと
頻繁に出向く訳にもいかず、
こう言う所で収益性の問題が
関わって来るに事なりますね。
行ければ研究が進むであろう
場所は幾つもあるのですが、
私が何冊も書けているのも
実地調査による部分が多く、
情報だけでは完全に無理です。
ただ目的から逸れるので、
リソースも無限ではなく、
テーマに沿い集中しないと
何も物になりませんね。