821年にウイグルの崇徳可汗が
唐の公主を娶ったとされ、
チベットも長安へ使者を派遣し
唐と和解交渉を行います。
同時にウイグルとチベット間も
交渉が行われて国境線を規定、
唐の使者もチベットのラサへ赴き、
国境の日月山と両国の首都に
盟約内容を刻んだ石碑を立てたと
伝えられています。
これは「唐蕃会盟碑」と呼ばれ、
漢文とチベット文で同一の内容の
碑文が刻まれています。
唐の皇帝をギャの大王と呼び、
君主であるフワンテイとされ、
吐蕃の聖神賛普はチベットの大王、
化身せる神ツェンポとされて
対等な扱いがなされた事が刻まれ、
大唐・大蕃、蕃漢二国と並称されます。
唐帝を舅、蕃帝を甥としますが、
上下関係とはなっておらず、
平和的な物であったようです。
なぜここで和平が結ばれたのに、
会昌の廃仏の前段階で敵対行動が
なされたと伝えられるのでしょう。
この和平はチベットのみならず、
ウイグルとも関係する可能性が
示唆されてはいるのですが、
ここから会昌の廃仏に至る流れに
問題が生じる事になって来ますね。