仏教の分裂と武即天

説一切有部の四大論師の一人・ヴァミストラが
一~二世紀頃に著されたとされる本を、
玄奘三蔵が唐代(662年)に漢訳した
『異部宗輪(いぶしゅうりん)論』には
仏陀入滅後の教団の分裂により分裂した経緯と、
それぞれの部派の教義の要が記されています。

唐の時代に武即天がゾロアスター教・マニ教・景教の
三つの一神教を保護した事は記事にしましたが、
玄奘は645年にインドから経典や仏像を持ち帰り、
武即天の在位は690年 – 705年とされています。

日本は663年に朝鮮半島の白村江の海戦で敗北、
672年に国内を二分する壬申の乱が起き、
その後に古事記・日本書紀が記されています。

説一切有部がギリシャ哲学と関係を持った
仏教の新展開であった可能性は記事にしましたが、
一神教を信仰した武即天と異部宗輪論の成立には
何らかの関係が存在しているのでしょうか。

武即天が一神教を信仰していたとすれば、
彼らのバックアップがあったのでしょうか。
この時代のアジアに一神教の勢力が
大きな力を及ぼしていたか否かは
まだ研究不足で何とも言えません。

異部宗輪論のサンスクリット語の原典は発見されず、
漢訳とチベット語訳のみ存在していますが、
異部宗輪論に記された分裂の原因は、
かなり微妙な内容が記されています。

関心のある方は調べられると良いですが、
高度な哲学的分類を説く有部が
幼稚な議論を展開して分裂の原因を作ったのは
かなりの違和感があります。

説一切有部は後に大乗仏教の主な攻撃対象となり、
徹底的に叩かれ批判されて来ていますが、
大乗仏教の信じるだけで救われる阿弥陀信仰は
キリスト教のそれと似ています。

阿弥陀はミトラに由来するとする説があり、
ゾロアスター教に取り込まれたミトラ神は、
キリスト教にも多大な影響を及ぼしています。

アショーカ王の仏教は世界に伝播したとされますが、
その内容のついては詳しく伝えられてはいません。

日本で仏教が花開いた飛鳥時代も、
飛ぶ鳥と書いてアスカと読むのは何故でしょう。

インドではアスカを最高の楽園としますが、
アショーカ王に由来する可能性もあります。
徐福によりアショーカ王の仏教が
古代日本に持ち込まれたのでしょうか。

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コメント

  1. シャイニー より:

    武則天の 後の時代は藤原氏の記紀
    武則天の 前の時代は蘇我氏の天皇記 くにつふみですね☺️
    武周の時代 胡の文化が花開きましたが 楊氏は馬族?
    武の前は 天下人 の婦人や母は独孤耶?羅氏から出ていますが もしや結果的に女性相続?
    興味津々