三ヶ日と豊橋

静岡県の西の端にある三ヶ日と、
愛知県の東の端にある豊橋は、
山脈の麓の僻地と考えられています。

古代においては山脈を越えて
往来が盛んであったので、
一つの文化圏を構築していました。
三遠式銅鐸がこの二つにまたがって
発見されているのが根拠となります。

とすると、このエリアは僻地ではなく、
中枢であった可能性もあるのでしょうか。

徐福の持ち込んだ赤引糸は、
三ヶ日で機織りされて豊橋を経由し、
伊勢の神宮に運ばれます。

この分断された二つのエリアを
古代のように一つの文化圏として
交流を盛んにするメリットは
何があるのでしょうか。

古代ヤマトにおいて、
この二つのエリアの祭祀には
共通性が見受けられます。

遠方から来た人と聖地参拝する時は
これらをまわっていますが、
山脈を取り囲む形での祭祀が
行われていたのでしょう。

御体山の崇拝は良く知られていますが、
この山脈は龍の形状をしているので、
周辺で龍神祭祀が行われていたのでしょう。

湖西の崇山(すやま)、豊橋の赤岩寺や普門寺、
その他この山脈にはイワクラ祭祀の痕跡など
幾つも見つける事が出来ます。

三遠の古代王朝に多大な加護を与えた龍神も、
今では誰にも存在を知られずにいます。
三遠の復興にはこの中心の龍への感謝こそ、
外せないポイントとなりそうです。

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