ソランと蔵王

『諸山縁起』に記された役小角は、
発心門で出会った老人から、
熊野の地主神・麁乱(そらん)神が
熊野権現の来臨により居場所を失い、
発心門・滝尻・切目に出没して、
熊野から帰る参詣者の生気を
奪おうとしている事を聞きます。

熊野は修験の開祖・役小角と関係した
壬申の乱以前から先住民族の聖地で、
熊野の地主神が麤乱神であったなら、
この神が悪神の汚名を着せられた事が
諸山縁起から読み解けるでしょう。

麤乱神は麤乱鬼として悪鬼扱いもされ、
邪馬台国の鬼道に関わりそうですが、
鬼神の祭である花祭も熊野修験と関わり、
邪馬台国の基幹に関わりそうです。

神道集の吉野蔵王権現の縁起には、
象王権現の本地は聖天であり、
自性輪身は十一面観音であり、
教令輪身は愛染大明王であり、
垂迹は麁乱神であるとしています。

大魔王となる時は常随魔であり、
煩悩となる時は元品の無明であり、
総じて九億三千四百九十の王子眷属がおり、
夫婦合身の形で象頭人身の体であり、
荒神として顕れる時は一面三目で二足の姿とし、
蔵王権現と麄乱荒神の関係を伝えています。

これらの神仏は全て後醍醐天皇と関わり、
修験の神である蔵王権現に集約されるなら、
後醍醐天皇の修した行法は邪悪なものでなく、
壬申の乱以前のヤマト王権祭祀に関わります。

後醍醐天皇は外宮の伊勢神道を重視し、
外宮の神は鬼神に通じるので、
後醍醐天皇は鬼道を復興させたが故に
邪術をなした天皇の汚名を着せられ、
輝ける神々は封印されたのでしょうか。

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