吉祥天と法隆寺

行基の本を書こうと思い立ち
法隆寺に調査にいきましたが、
吉祥天女像が保存されており、
強く感じる物がありました。

法隆寺行基建立説の詳細ついては、
『行基菩薩とヘレニズムの復興』に
書いてあるので関心があればどうぞ。

壬申の乱の前後を生きた行基により
吉祥天が信仰されていたのなら、
邪馬台国祭祀に関わる神であり、
雑密で重要視されていた可能性が
非常に高い物となって来ます。

法隆寺の本尊が薬師如来であり、
聖徳太子は取ってつけられたのか、
馬小屋で生まれたとする伝承は、
キリストを連想させますね。

日本国内において一神教が、
それ以外の神を排除する歴史が
存在していたとするのであれば、
道真公の排除は政治だけでなく、
信仰的な意味合いもありそうです。

菅原家は行基と共に活動した
土師氏に連なる家系なので、
行基の信仰した吉祥天女とも
関係が深かった事になります。

道真公の政治がヘレニズムの
復興に連なる物であったなら、
アレクサンドリア大図書館の本が
焚書にあった歴史に見られる様に、
政治活動の痕跡の徹底的な抹消が
行われた可能性も0ではありません。

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