渤海との同族意識

九世紀初頭の勅撰漢詩集の
『文華秀麗集』の中に、
日本官人と渤海使人との
文学的交流や詩の贈答が
数多く記されています。

いかにも雅なやり取りで、
かなりの知的水準がなければ
成立しない事が分かりますが、
儒教経典にも『詩経』があり、
政治と詩との深い関係が
忘れさられたのは最近です。

道真公は私塾で儒教を教え、
この周辺はお手の物だったのか、
土師氏の御家芸だったからかは
何とも言えないところですが、
優れた外交なのは確かでしょう。

美しい言霊で深い見識を
政治の現場で伝える行為は、
現代の政治家も見習って
欲しい所ではありますね。

日本の接待役・領客使であえる
坂上今継が第一七回渤海大使の
王孝廉(おうこうれん)に歌った

一面相逢うこと旧識の如く、
交晴は自ら古人に斉し

と言う表現を見る事が出来ますが、
奈良・平安時代の漢詩文には、
渤海に対する強い同族意識が
存在していた事が伺われます。

渤海は高句麗に由来しますが、
同質の神話を持つのが百済で、
朝鮮半島の両者の関係は、
新羅が中間に位置する事で、
分断されたような状態でした。

日本神話もこれらに類する要素を
保持している事から考えると、
本来は同一の勢力が分断し、
別々の国家を作ったと見る事は
出来るのでしょうか。

半島の勢力地図の変化は激しく、
新羅からギリシャ・ローマの
出土品が見られる事から、
高句麗・百済が後に侵略し、
歴史を隠蔽した可能性は
非常に高いと思われます。

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