大抵の古史古伝は盲目的に信仰されるか、
徹底的に粗探しして否定されるかの
両極端な対応がなされる事が多いですが、
翻訳者の浜名氏自身が『契丹古伝』が
契丹の物か否かで五つの疑問を提唱します。
そこには数多くの根拠が上げられており、
契丹族を日神の神族とする主張のための
ある種の論理操作があるとしています。
それを言い出すと古事記・日本書紀や
歴史の教科書も検討対象になりますが、
『契丹古伝』はもう少し荒い感じで、
問題が見受けられはするようです。
偽造通過の歴史を見てみると、
本物の中に偽物を混入する事が
行われていたりしますが、
歴史についても言えそうです。
以前からこの書の内容が100%正しいと
思っていない事は言及していますが、
浜名氏の着眼点とは違うポイントで
解釈している部分が存在しています。
契丹は渤海の官僚を多く登用し、
『契丹古伝』は渤海を滅ぼした後に
東丹国で作られた歴史書なので、
旧渤海王室の書庫にあった書から
多く引用されたと見られています。
敵側とされる渤海国の史料を、
契丹の正統性の根拠とする方法で
成立した書物であったのならば、
かなりの問題を潜在させています。
彼の挙げた問題点は多岐に渡るので
ブログで書く事は控えますが、
研究の流れには繋げたい所です。
後に道真公も本を書くのであれば
詳細に踏み込んでも良いですが、
余り専門的になってもアレなので、
必要十分な範囲で良いでしょう。
更に問題となってくるのは、
『契丹古伝』が原文を元にした
後の創作物である可能性すらも
存在している事にあります。
分かりやすいダミーを出して、
それを叩く事で都合の悪い物を
全否定するやり口などもあり、
どれが100%正しいと断定する
行為自体が学術的に問題です。
しかし私の一連の著述を端緒として
新たな観点から研究がなされれば、
古代アジアの深層開示の領域で
新たな地平を切り開くだけの、
ポテンシャルは無いでしょうか。