円仁が修行したとされる大慈寺は
行基による開山とされていますが、
後世の付会とも言われています。
第二祖の道忠は武蔵国の出身で、
平城京に行き鑑真に師事したと
伝えられているようです。
鑑真は北関東にも痕跡を残し、
ここで関わった可能性も
なきにしもあらずですね。
円仁は帰国後に東北方面に
足跡を残していますが、
関係はあるのでしょうか。
道忠は鑑真の高弟であり、
東国で布教につとめ、
菩薩として崇められており、
彼の門下には第二代目の
天台座主となる円澄や、
下野で著名な天台僧を育てた
広智が存在しています。
問題となるのは鑑真ですが、
彼は大曇寺と関係しており、
これはマニ教の寺院です。
円仁は五台山で修行してから
長安に行っているのですが、
五台山の文殊菩薩信仰は、
アショーカ王の系統です。
となると彼の学んだ仏教は、
全く別の二系統の宗教で
あった事になりそうですが、
いずれの側なのでしょうか。
円仁が学んだのが行基の仏教なら
アショーカ王に通じる修験道で、
鑑真由来ならそれを小乗として
否定する側に属する事になります。
彼の立ち位置により会昌の廃仏の
記述の信憑性が大きく変わる事に
必然的になってしまいますね。