会昌の廃仏は道教に傾倒した
武宗の取り巻きであった
趙帰真などの道士達による
策謀と見て良いのでしょうか。
この弾圧に加わった李徳裕は、
必ずしも反仏教ではありません。
彼は牛李の党争の一方の旗頭として
現状の改革に熱心であったとされ、
財政の立て直しを期待さた事で、
開成五年(840)宰相に復帰します。
地方在任時に仏教界の腐敗を見ており、
寺院が隠した財産に関心を持っています。
しかもマニ教寺院は奴隷を隠し、
一方的な被害者のような表現が
為されている状況の中にあり、
彼らの問題行動については
何も言及がなされていません。
当時の仏教界は腐敗・肥大化し、
国家財政に悪影響を与えており、
マニ教を信奉したソグド人は、
金融業を行っていました。
キリスト教で蔑まれた金融を
ユダヤ人に押し付けた事から、
金融ユダヤ人が力を持ったと
多くの人が認識していますが、
この頃から一神教と金融が
関係していた事が分かります。
この様な偏った伝承を残すのは、
被害者とされる側が相手を悪く
書き残しているケースが多く、
円仁の聞いた残虐行為の数々は、
情報の出所が気になりますね。