『平家物語』と南朝

天狗は様々な軍記物に登場し、
政治的に天下を乱す妖怪として
怪しい時代を彩ってきました。

この傾向は武家中心の政治が
始まった頃からとされており、
鎌倉幕府が伊勢神道を信仰し、
先住民族祭祀を復興させる事と
リンクしている可能性があります。

『平家物語』に登場する天狗は
慢心した坊主の成れの果てに
鼻高の天狗になるとします。

天狗と申すは人にて人ならず、
鳥にて鳥ならず、犬にて犬ならず、
足手は人、かしらは犬、
左右に羽根生え、飛びあるくものなり。
人の心を転ずる事、
上戸のよき酒をのめるが如し。
小通を得て知らぬことをば、
知らずといえへども未来をば悟る。
是れと申すは持戒のひじり、
もしくは智者などの
我れに過ぎたる者あらじと
慢心御こしたる故に、
仏にもならず悪道にも落ちずして
かゝる天狗といふ物に成るなり。

源平合戦を記した書ではあるものの、
平家物語の正確な成立時期は不詳とされます。

作者が誰かにについても多くの説がありますが、
現存する最古の記述は吉田兼好の『徒然草』に、
作者である信濃前司行長(ゆきなが)が
生仏(しょうぶつ)という盲目の僧に教え、
語り手にしたとすると言われてるようです。

後鳥羽院の時代に作ったとしているので、
朝廷が鎌倉幕府と戦った承久の乱に関わり、
幕府と朝廷のヒエラルキーが逆転し、
修験道等の先住民族祭祀の復興にも
関わっていそうですね。

南朝の修験者が悪い天狗とされたとする
私の説の裏付けになりそうですが、
仮に平家物語が承久の乱の後の成立なら、
源氏が天下を取り南朝に連なる流れで、
都合の悪い事実の捏造はありそうです。

吉田兼好がこの話を残したのは、
南朝の修行僧が天狗として扱われ、
酷く言われるようになった背景を
伝えたかったのでしょうか。

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