無知の知

古代ギリシアと日本との関係は
ギリシア神話と古事記のみでなく、
様々に見いだせます。

「哲学の祖」とされるソクラテスの時代、
アテネには衆愚政治が蔓延していたそうです。

当時のアテネは民主主義的な政治が行われ、
投票による多数決で代表者が選ばれ、
国民にとって都合の良い事を言って
当選しようと画策した結果、
有益な政策はとられなくなった様です。

ソクラテスは政治達に疑問を投げ掛け、
相手の矛盾を追及していったようで、
普通に嫌なヤツと思われかねない行動ですが、
罪状を突きつけられても議論を止めようとせず
処刑になったようです。

上から人のあら探しばかりしていると、
ではお前がやってみろと言う話になりかねず、
実行する場合は分からないだけ言っていても
無責任なプライド保持くらいにしかなりません。

知らない土地に行って道を尋ねた時に
知らないのに間違った道を教えられたり
知っているのに知らない振りをされると困りますが、
現場でもその様な話が数多くあるので、
孔子も知っている事を知っている、
知らない事を知らないとするのが
知だと言っていたようですが、
ソクラテスも余り知られていないだけで
無知の知以外に同じ事を言っていますね。

ソクラテスは自分はなにもしないのに
あたかも完璧に出来ているかの様に
相手を否定するのが目的ではなく、
一番賢いのがソクラテスだと弟子が神託を受け、
それを否定するために議論を重ねたようです。

知的なプライドを満たすための議論とは違い
守るべきプライドや立場が無かったので
議論に強かったのかもしれませんが、
同時に責任も無かったのでしょうか。

ソクラテスの弟子のプラトンは政治経験者で、
現場経験があった上で哲学を語り、
学校を作って教育を行い、
アリストテレスが育った後に
アレクサンダー大王の家庭教師となりました。

ギリシア哲学は政治と密接な関係を持ち、
プラトンは「国家」を記していますが、
衆愚政治化している現代日本も、
歴史から学ぶ事は多そうです。

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