「東三河の徐福伝承」には部分的に書いておいたのですが、
徐福が実際に存在していたと仮定して何者だったのでしょうか。
秦の始皇帝に仙人から不老不死の薬をもらってくると約束したのに
手ぶらで帰国したのに更に膨大な要求をし、
それでも殺されずに海を渡って帰って来なかったのに
討伐指令が出されていないだけでも疑問ですが、
これ以外にも多くの疑問があります。
徐福はインドから薬師如来像を持って帰ったとされていますが、
徐福は中国の東海岸の国の生まれとされていて、
更に当時の中国ではインドは認知されていなかったようです。
中国の薬師仏信仰はあってもインドでの痕跡は見当たらず、
釈迦は仏像を作るのを認めていませんでした。
徐福より前に仏像が作られ始めたとすると、
アレクサンダー大王が東西をまたにかけたヘレニズム文化を作った事で
ギリシャ彫刻風の仏像が作られるようになったとされていますが、
大王はインダス河を渡れずバビロンで死亡したとされています。
徐福伝承自体が捏造ではないと仮定した時に、
徐福にまつわる様々な疑問に全て整合性のでる仮説を
「東三河の徐福伝承」に書いておきました。
三遠式銅鐸の本にも追加で説を入れておいたのですが、
この本は書き上げたものの出版はまだ未定です。
徐福の正体が彼であったとすれば、
日本の弥生時代のイメージは大幅に変更されるでしょう。
紀元前200年頃の日本はどんな国だったのでしょうか。
アメリカ追随が終わりを向かえそうな状況ですが、
日本のアイデンティティーの見直しに
徐福は大きな影響を及ぼすでしょう。
コメント
とても興味深く3つの記事を拝読しました。父の本家が渥美半島堀切です。
父は三年前に亡くなり途絶えましたが、世襲名で渡會六郎左衛門と言いました。
伊勢外宮の地は度会郡『度会宮』あり、神官は氵のない度会(ワタライ)、敗れた?人たちが湾を渡ったので渡會になったとか、海賊だった?とか。
渡會家は農地改革まで庄屋で、農業というより海産物を商ってたようです。
今は跡を継いだ従兄弟が『電照菊』で地域産業を盛り立ています。
ご本の出版社名を教えてください。
返答有り難うございます。
渡会氏については奥三河の花祭を研究した本で書いていますが、
東三河との関係が非常に深かったようです。
三遠には鬼が登場する祭が幾つもあり、
悪者でない鬼が多いのが特徴的な地域です。
今まで書いた本は神社関係、行政、学校などに寄贈しているので
自費出版で出していますがAMAZONでも購入できます。
三遠式銅鐸の本は分量があるので出版社と交渉中ですが、
徐福の本を購入したければこちらからどうぞ。
https://www.amazon.co.jp/gp/product/B07TQYSH3C?pf_rd_r=29RSZQ2TTMXZA0AGGWRP&pf_rd_p=3d322af3-60ce-4778-b834-9b7ade73f617
鯛の島の伝承をご存知でしょうか。
むかし伊勢湾に一夜で沈んだ島があったそうです。「鯛の島はムー大陸だったのではないかと言われる方もあります。)
ワタライ氏はその島の住人だったとのこと。
島から避難した人たちが海を渡り伊勢と渥美に流れ着いたそうです。
渥美では堀切辺りと中山辺りに主に流れ着いたと聞いています。
ワタライ氏は海賊とも言われていますが、私が子供の頃の歴史の参考書には「渡会水軍」の記載がありました。
ワタライ氏の中には近代、傭船業を営んでいた方もあったようです。
地方豪族と呼ばれた存在にもワタライ氏があったようです。
渡会氏は「海の民」です。
なお、韓国(朝鮮)語では海賊のことを「バタライ」と言ったそうです。
補足です。
忍さん初めまして。
度会氏ですが、海洋民族である安曇族と関係していると思っています。
外宮の神官も度会氏で、外宮信仰は案外と国内に限定されないグローバルであった可能性がありますね。
はじめまして。
こちらのブログ記事に興味深い内容が記されています。
http://maakata.holy.jp/2019/07/12/425/
現在言われる歴史における縄文の民は海洋民であり、世界中の海を移動していたとの内容の本を以前読んだことがあります。
実際に近代、アジアや欧州と関係していたという渡会さんがいたことを聞いています。
飽海の鬼祭りには天狗が登場しますが、渡会氏の中には天狗として活躍した人々が存在したと認識といいますか確信しています。
飽海も渥美も安曇だと思います。
渥美には保美という地名がありますが、これは豊海、宝海ではないかと推察しています。
本当の出雲族は現在消息不明だそうですが、安曇族とは出雲族であり、それは現在の歴史からは隠されているものと推察しています。
外宮の住所地が豊川というのも三河との関連性を示しているのではないでしょうか。
伊勢神宮の本体は内宮ではなく外宮だと聞いたことがあります。
katsuyoshi様は私よりもずっとよくご存知のことでしょうが、世界中の神話には多くの共通点が見受けられるようです。
これが古代には世界中がダイナミックに繋がっていたとの証であるように私には感じられます。
こちはのブログは最近知りましたので少しずつですが読み進めさせていただきます。
なかなか本を読む機会がないのですが、いずれご著書も拝読させていただこうと思います。
我が国の歴史には隠され消されてしまった事実が多くあるそうですね。
特にこの三遠地方についてはそれが顕著なようです。
それらの事実を発掘して情報を出してくださることに感謝いたします。
今後のkatsuyoshi様のご健勝をお祈りしご活躍を楽しみにしています。
追記
タイだったかインドネシアだったか、あの辺りにはバタライという姓の人々がおられるそうです。
かなり詳しく研究なさっていますね。
一応、これらの議論は既に執筆済みですが、天狗にも種類があり、豊橋の鬼祭の天狗は先住民族と戦った外来系であると考えています。
花祭にも悪い天狗が乱入してくる事があるそうですが、秋葉山の天狗などは良い存在ですね。
鼻高天狗は猿田彦がモチーフの物もあるようで、三遠は数種類の天狗が混在する珍しいエリアになっています。
外宮の地名が豊川なのは、豊川と言う川が流れていたからと一般には言われていますが、豊受に因んで豊川にしたなら、ルーツは豊橋方面にあるのかも知れません。